絶望とさみしさの根底で見つけたもの

さみしさの根底へと
深く深く
落ちていきました



ひとり



落ちに落ち
さみしさMAXの
臨界点を超えた時



自らは自らを
救おうとするのですね



自分が欲しがるものを
いちばん知っている
自分だからこそ
自分が求めるものを
自らの力で与えることができることに、
はたと
気がつきました。



さむければ、あたたかさを、


そのさみしさが
懸命に求めている愛を、



誰に求めるでもなく
自らの力で生み出し
与えることができる


そんな単純なことに
なかなか気付けず
どこかでだれかに
求めていた自分に
出会えたのでした。



誰かが救ってくれるのでは
という
期待であり依存心が
わたしのさみしさの根底にある
想い癖でした



人は人と
支え合いながら
生きてゆくもの



わたしのなかにあった
その観念を
変容させるときが
来たようでした。



人はひとりでも
さみしさを癒すことができる



そして


人はひとりでも
大いなる愛に見守られ
めいいっぱいに満たされ
愛されている。


だって
自らが自らを救うことのできる
唯一の存在なのだから


身体の全細胞が
エネルギーに満たされ
アップグレードされていく


観念が書き換えられていく


依存から自立へ


他力から自力へ


内側から
少しずつ
新しい景色
新しい世界がはじまりました。



わたしはね。
結局のところ
とても無機的に育てられたような部分を
自らの力で感じすぎてしまっていてね。
それがさみしさの根源でした。



じゃあどうして欲しかったのかといえば、



魂をわたしの個性を尊重して欲しかったのね。



それがわかった時、だから、今、この仕事に向き合っているんだなって

ほんと全ての完璧さにビックリしちゃったのです。
だから
無機的な経験が必要不可欠だったんです。



自分がわざわざ、プランしたようなのです(*^^*)
ほんと、
自分はうまく出来ているんですね。